猫の手を借りる日
うちには、でっかい猫がいます。
名前は「みぃ」と言います。
最初拾った時にみぃみぃ鳴いていたのでそう名付けたのですが、その時の気分によって「みぃみぃ」と呼んだり、「みみみ」と呼んだり、「みぃこ」と呼んだり、「みぃごん」と呼んだり「ごんすけ」と呼んだりしていて、どう呼んでもちょこっとだけ反応するので、多分本人は自分の名前がみぃであることとかあんまり気にしていないようです。
機嫌がいいと、呼んだらにゃぁと返してきますが、大抵の場合は振り向きもせず、しっぽだけを気だるそうに一振り動かして反応します。
猫からすると特大サイズのソファをおいてもこのようにはみ出るくらい大きく育っちゃったのですが、最初から大きいわけではありませんでした。
最初は、こんなスマートな子でした。それが、こうなりました。
一体何故こうなってしまったのか、とんと見当がつきません。
強いて言えば、最近1日に5食くらい食べたがるからかもしれませんが、それでこんな顔つきや、顔の大きさまで変わるものなのでしょうか。
みぃは、3.11が発生する1年くらい前に、最寄り駅のロータリーで拾いました。
仕事から帰って最寄りの駅についた時に、ロータリーの真ん中にある茂みに数人の人が集まっていて、みぃみぃとすごい鳴き声が響いていました。人々は、こんな場所にいては危ないからと、その鳴き声の主を捕まえようとしていました。ただ鳴き声のする所にそろそろと近づくと、低木の中をするすると走ってまた別の場所へ逃げ、みぃみぃ泣くのを繰り返していました。
数人がかりの格闘の末、やっと誰かが小さい猫を捕まえて拾い上げました。
猫は、捕まえられると「シャーッ」と、周りに怯えたような威嚇をしました。ただ、あまりにも小さいため、どれだけシャーっと言われても、怖くもなんともありませんでした。
まだ歯すら生え揃っていない、本当に生まれてすぐの猫だとわかりました。
周りの人達は、捕まえてはみたものの家で飼うことができないと戸惑い出しました。ぼくはもともと犬派で、その時既に二匹のミニチュアダックスを飼っていたのですが、ぼくも戸惑いながら、仕方なく貰い受けました。
飼い始めてしばらく、みぃは近づくと毎回「シャーッ」と威嚇をしていたのですが、住み始めてしばらくすると言わなくなりました。ただ、今でも掃除機を近づけると「シャーッ」と言います。掃除をするからとみぃを別の部屋に連れて行っても、掃除機をかけようと掃除機を持ってきたタイミングで部屋に戻ってきてしまい、こちらに落ち度はないはずなのに「シャーッ」と言い、逃げていきます。
みぃは「シャーッ」と言う代わりに、他の色んな鳴き方をするようになりました。
「にゃぁ」と言うこともあれば、「にゃぁにゃぁ」と言うこともあり、また、「にゃにゃっ」と言ったり、「にゃーお」と言ったり、「なーん」と言ったり、「なおーん」と言ったりします。
【猫語翻訳】
— ⛩branch@フリーランスアプリ開発者⛩ (@br_branch) 2020年6月7日
ここまでわかってきた
・にゃぁ:「おい」
・にゃぁ?:「おいっつってんやろ」
・にゃぁにゃぁ?「何やねん」
・にゃ?:「あ?」
・みゃみゃ:「おっ?」
・なおーん:「どこにおんねん」
・なーん:「やめーや」
・なー:「怒るで」
・にゃっにゃっにゃっ:「これは小麦粉か何かだ」
何処かで聞いた話なのですが、もともと猫は、基本猫同士では鳴かないそうです。鳴くのは、最初のように母親を探したりする時や喧嘩する時など、非常事態に限られるのだとか。
でも人間は猫に比べるととても耳が悪いので、猫様は人間どもとコミュニケーションを取ってやるために仕方なく鳴くのだ、と専門家っぽい人が言っていました。
また、みぃは動作でも意思表示をします。たとえば、お皿の前に座ったり、猫草の前に座ったり。冷蔵庫の前に座って「にゃぁ」と言うと、いつもおやつで挙げてるシラスがほしいんだ、とわかりますし、ベッドに上って「にゃぁ」と言ってくるときには、一緒に寝よって言ってるんだとこちらもわかります。
そんな風に動作も交えて意思表示をしてくるのを観察していると、おそらく、言葉の成り立ちを見ているようで、とても興味深いものがあります。
ある環境に立たされた時、自分の意思を伝えるというのが、生きていく上で必須の欲求となります。あるいは、伝えられた方が楽になります。
ただ、みぃは誰かに教わったわけでもないのにそれをやり始めたというのは、伝えたいという感情はア・プリオリな部分からくるものなのでしょう。自他の認識という同じくア・プリオリな認識から自然発生的に帰着する行動なのかもしれません。
そして、それはホモ・サピエンスがまだ言葉を持たない毛のない猿として過酷な自然界からいじめられていた時代に、鳴き方を変えて意思伝達を行うという試みを繰り返し繰り返し行われながら、複雑な言葉が成り立っていったのでしょう。
そんなことを考えると、まだまだ遠い未来かもしれませんが、猫もより多彩な鳴き方を獲得し、人間もその猫語をより詳細に把握するようになって複雑なコミュニケーションが成り立つようになり、猫の手を借りられる日が来るのかもしれないなぁ、と言う気がしてきます。
多分猫様が今よりもより人間どもの手を借りまくるようになるだけのような気もしなくもないですが。