たそがれBranch

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運の要素

コロナが本格的に流行り始めた今年の4月にぼくは独立をしてフリーランスになりました。本当は、独立して最初の仕事は先方の会社に常駐して行う予定ではあったのですが、事情が事情ですから、最初からフルリモートで、自宅から作業をさせてもらえることになりました。

今はその時とは全く別の仕事をしているのですが、そのままの流れで今もフルリモートで作業をしています。今年のはじめに案件を探してた時には、あまりフルリモートOKというのはなかったように思うのですが、コロナの影響でしょうか、それでも良いという所は増えているような気がします。といってもぼくの周りだけの話なので、実際のところどうなのかはよくわかりません。

 

前にも会社を辞めた時の話は投稿したのですが、独立しようと思った直後は、新型コロナがここまで深刻になるとは思っていませんでした。3月を過ぎたあたりから本格的に影響が出始めたと記憶しているのですが、もうその時には会社にも辞めることを伝えてしまっていて、後戻りすることもできず、まぁなんとかなるでしょ、という思いで、えいやっと辞めたのを憶えてます。

まだ独立して5ヶ月しか経っていないので、今後どのようになるのかはわかりませんが、今の所はうまく行っています。会社員の頃よりかは若干収入が不安定となりそうな予感はしていますが、それでも今年食いっぱぐれるということはなさそうです。

今の収入源は、請負や委任が100%を占めているのですが、徐々に自分のサービスを展開していって、そちらの比率を増やしていきたいという野望は持っていますが、ちょっと今はコロナ疲れ気味で停滞しちゃってます。そろそろ動いていきたい。

 

松下幸之助は、成功するかどうかは90%が運で、残りの10%が努力だ、というような名言を遺しました。きっとそんな感じなのでしょう。何かを成し遂げるには、努力はもちろんですが、運もとても大事なのでしょう。

ただ、経営の神様の言葉に口をはさめるほどぼくは何もしていないのですが(というか、ぼくはまだ何もしていませんが…)、運というのにも3種類あるよな、という気がしています。

「運」を分解すると、以下のような要素で構成されていると考えています。

  • めぐり合わせ
  • 情勢
  • タイミング

深く考察はしてないので、もうちょっと要素はあるかもしれません。

めぐり合わせというのは、それまで築き上げてきた人との繋がりだとか、ある対象との関わりだとか、そんな「今現在」を構築している過去の要素です。出会いとか運命といった方が良いかもしれませんね。

それは、遡り続けると、生まれた時にまで達するのだと思っています。あるいは、それよりも更に前、ぼくの親や、祖父母、ご先祖さまのめぐり合わせも、少なからず影響しているかもしれません。

大半のめぐり合わせは、コントロールなど出来ず、それらを考えると身も蓋もないようなものになってしまいます。

ドフトエフスキーは、「貧しき人々」という小説の中でこう書いています。

ある人は母の胎内にいるときから既に運命の鳥に幸運を告げられているのに、ある人は養護施設の中から人生の荒波に飛び込まなければならないのは、いったいどういうことなのでしょうね?

また、ジョン・F・ケネディは以下のように言いました。

人間は生まれつき不公平に作られている

実際にそれらの言葉は、様々な人の不幸な過去などを聞いたりしていると、真理なのだろうという気がします。

また、めぐり合わせは未来にも関わるものになります。その時は失敗だったとしても、その後のめぐり合わせによって花開く、というケースは多々見受けられます。

 

めぐり合わせはまた「受動的」「能動的」な2つに分解することができます。受動的とは、上に挙げた変えようのない、自分の意思ではどうすることもできないめぐり合わせです。一方、能動的なめぐり合わせは、自分の行動の結果発生するもので、多少は変えられる余地はあるように思います。

 

情勢とタイミングは、似たようなものですが、中長期的なものか、瞬発的なものかという違いがあります。情勢にうまく乗ることができれば成功はしやすいでしょうし、ただ、タイミングが悪ければ成功する確率は下がるのでしょう。

 

「運」というひと括りで考えると、それはコントロールしようがないもののように思えますが、分けて考えると、タイミング以外はある程度の対策ができそうです。今どのような情勢で、どういう需要があるのかを分析してみたり、今のめぐり合わせを大切にし、そこから何ができるかを考えたり、あるいは、ちょっとビジネス的すぎて嫌な言い方になりますが、やりたいことを実現できる人、人材を能動的に探したり。

また、自分がやりたいことを発信する、というのも、めぐり合わせ運を高める手段としては有効なのでしょう。色んな人に「自分はこんなことをしたい」と伝えることで、それを実現できる手段を教えてもらえるかもしれませんし、実現できる人とめぐりあえる可能性が高まるかもしれない。

 

今のところ、ぼくは「受動的なめぐり合わせ」によって生かされている、と常々考えるようになっています。要は、今までは運がよかった。

ぼくの母は、ちょうど昨日66歳となったのですが、女手一つでぼくを育ててくれました。気が強くてとても変わった親なのですが、きっと大変だっただろうに、ぼくがやりたいことをそのままやらせてくれた親です。

小学生の頃、母はぼくにPCを買ってくれました。ぼくが通ってた小学校にPCがあって、ぼくが興味を持ったことを知ってのことです。

おそらくそれがなければぼくはプログラミングなんてやらなかったでしょうし、今、こうして独立してフリーランスでもなんとかやっていけるというようなこともなかったかと思います。本当に全く別の人生を歩んでいたのでしょう。

そのPCとのめぐり合わせは、今のぼくを作っています。

 

また直近でも、ぼくは沢山のめぐり合わせによって生かされています。今の取引先の方ともそうですし、前の会社の経験もそうです。その頃に培った経験がなければ、やはりぼくは独立してやっていくなんてできなかったに違いありません。

いい人たちばかりだったし、その中でたくさんの経験をさせてもらえました。会社を選んだ、というのは能動的なめぐり合わせかもしれませんが、その内部の実態がどうなのか、また具体的にどんな仕事を割り当てられるかというのは、入ってみなければわかりません。様々な人と出会い、様々なプロジェクトをこなすなかで、クラウドの技術やアプリ開発の技術なども学び、その経験は今に生きています。

 

Twitterなどを介して色んなアプリ開発者の人たちと巡り会えたのも、ぼくにとっては大きな転換点でした。様々な人がいて、いろんな考えを持ってやっているんだな、というのを気づかしてもらえ、それらは良い刺激になっています。これらのめぐり合わせもまた大切にしていきたいです。

 

ただ、今までは受動的なめぐり合わせという、特に運が強く働く要素で生き残ってこれましたが、今後もそれによって生き残り続けられる保証はどこにもありません。それに、生き残る、ではなく、何かを実現する、というようにシフトしていくには、ぼくも能動的に動いてもいかなければならないのでしょう。

とはいえ、今というめぐり合わせに感謝しつつ、ゆっくり進んでいこうと思います。急ぐと疲れちゃいますので。